思いついたらおうちの近くから。さあ出かけよう。四国の酒蔵88箇所巡礼の旅


大きい画面で見る










第四番酒蔵札所「蘭玉 吉田酒造」
住所: 徳島県川内町大松424-1
TEL: 088-665-1201
営業時間: 月曜〜土曜の9時〜17時受付。日曜・祝日休。蔵見学不可。

[ああ 青春]

 ここ川内町は徳島市の北側、いわゆる吉野川の中州に位置しています。吉野川のおかげて土地も肥沃で昔から米作も盛ん、今は鳴門金時芋や蓮根で有名です。県庁まで車で10数分ながら、今でも緑の田んぼと水路で一杯です。また、海風が強く、冬は寒くて空気が澄みます。
  ここで酒造りをしている『吉田酒造』の創業は1810年、もっと遡れば、江戸初期に蜂須賀さんについて播磨から来たという。現在の吉田社長で、15代目の名家。その吉田社長はもう還暦を越しましたが、育てた子供7人という、年金問題で悩む厚生労働省から特別表彰をもらっても良いような人。ほんとに大変だったのはワハハと笑う本人ではなく、しげしげとお茶を入れて下さっている奥さんだったんでしょうが。
 ・・・と言うような真面目な酒蔵のお手本のような話とはまったく違い、この吉田社長は若い時は自動車ラリーで「はっきりとプロを目指していた」そうで、ラリーのレースを求めては毎週全国の山中を行脚、結婚して家族に反対されて現役引退。持て余したエネルギーで、今度は地元の町づくりに燃え徳島青年会議所の33代理事長まで勤めあげられました。いわばこの間のご自身は酒造りの時間的余裕はなかったはず。それが40歳を境に「心を入れ替えて(ご本人談)」、酒造りに燃え始めたとのこと。元来、なんにしても突き詰めないと終わらない性格らしく、モットーは「淡麗辛口のような流行にはのらない」「自分で造る」「自分が飲みたい酒を造る」というような、わがままそのものの造りです。でも、ほんとに大変だったのはワハハと笑う本人ではなく、しげしげとお茶を入れて下さっている奥さんだったんでしょうが。(苦笑)
 今では、ご長男さんが跡を継いでくれたおかげで、たくさんの孫の顔が見れる(子供さんが7人なら孫だけでアメフトチームができますぜ)ということをいかにも嬉しそうに語る永遠の青春おじいちゃんでもありました。人生は波瀾万丈、ほんとうにお疲れ様でした、おばあちゃん。(笑)

クリックすると拡大します
「国道から一歩入ると一面田園風景の川内町」
国道から一歩入ると一面田園風景の川内町

クリックすると拡大します
「蔵正面」
蔵正面

クリックすると拡大します
「吉田社長 (車は撮らないでいいぞ)」
吉田社長 (車は撮らないでいいぞ)
酒蔵さんから
記事はありません
近くの穴場情報
吉野川下流の橋巡り
2008.03.01

 川内町から南に向かうと、吉野川の河口近くに出る。ここには様々な橋梁があって、吉野川にかかる橋を河口から源流まで全制覇・・・なんて、何の役にも立たない自由研究へのチャレンジャーも過去にいたようである。そういう目的は無くても、自転車等に乗ってのんびりと走る自然探し田舎巡りの旅には丁度いいかもしれない。ここでは石井町から河口へ向かう下流域の主な橋を紹介する。

 まずは、石井町の『吉野川情報館』。ここは、吉野川の南側の土手に造られた『石井町防災ステーション 三郎広場』の一角にある。「三郎」とは恐らく吉野川の別称「四国三郎」からとったものであろう。館内は吉野川の源流から河口に至るまでの資料の掲示がなされている。四方の壁の一角が大型のマルチスクリーンになっているが、折角のスクリーンで民放のワイドショーが流されていたのがちょっと辛い。

 ここから下流に1Kmほど下ると、『高瀬の潜水橋(1954年竣工)』がある。「潜水橋」とは、いわゆる「沈下橋」のことで、洪水時には川に沈むために水の抵抗を減らすように造られた、手すりや欄干のない石造りの橋のことである。四万十川同様、吉野川には昔から幾多の潜水橋がかかっていて、今回、付き添い役で取材に同行してくれた高松駅M助役(この人も吉野川中流の町出身)によると、川で育った子供にとっては、自転車でよそ見をして、潜水橋から落っこちた経験は一度や二度ではない・・・ということだ。それにしても吉野川の下流ともれば潜水橋も557メートルの長さに及ぶ。自動車の待合いも1分程度が必要になる長さである。

 更に数Km下ると、大きな石をうず高く盛った『第十堰』が現れる。これは、昨今、「環境破壊」や「予算の無駄使い」のシンボルとして、この地域の政策論争の震源地となっている構造物である。地元の論争について他所者が語る資格はないが、景観としては確かに異様な感じを受ける。これから重ねていく歴史という名の長い年月が、この石盛りの真の評価を下すのであろう。

 もっと下って佐古近くに来ると、JR四国高徳線の『吉野川橋梁』が見えてくる。鉄道構築物マニアのM助役によると、この鉄橋は、日本初の3径間連続トラス橋(橋脚4本(3径間)の上に一本の橋桁が架かる構造)であり、その長さ946mは、1935年の竣工当時には全国の鉄橋のベスト3に入る長大鉄橋であったそうだ。難しい技術のことはよく分からないが、もう75年も掛け替え無しで使われている名鉄橋である。

 徳島市内に入ると『国道11号線吉野川大橋』である。ここは徳島市の幹線道路で、片側三車線の近代的な橋である。更にここから下流を見るとバイパス道路として、さらにもう1本の自動車橋が建造中である。いずれにしても吉野川ほどの大河になると、そこに架かる多くの橋そのものが、川の歴史を物語る語り部となっている。




クリックすると拡大します
「吉野川情報館」
「吉野川情報館」 クリックすると拡大します
「高瀬潜水橋  車は交差できない。」
「高瀬潜水橋  車は交差できない。」 クリックすると拡大します
「第十堰」
「第十堰」 クリックすると拡大します
「高徳線吉野川橋梁」
「高徳線吉野川橋梁」 クリックすると拡大します
「片側三車線の吉野川大橋 (国道11号線)」
「片側三車線の吉野川大橋 (国道11号線)」
2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
←2024年11月 2025年1月→



吉野川下流の橋巡り 2008.03.01

酢れんこん 2007.11.19
おすすめ
記事はありません
投稿
ニックネーム
メアド (表示されません)
タイトル
本文
写真は1枚、10Mまで投稿可能。管理者が認定すれば、下記に投稿されます。
記事はありません